オフィスビルや公共施設、学校、住宅などが混在する東京都港区、三田エリア。ここは、2025年3月から順次竣工予定の「三田ガーデンヒルズ」をはじめ、「三田小山西地区」の再開発も進行中で、近年ますます注目を集めています。この三田エリアは、小山台(現在の三田一・二丁目)と三田台(三田三・四丁目)のふたつの「台地」で形成され、西から北を流れる古川の沿岸と、東部の海岸に「低地」が広がっています。そのため、台地と低地を結ぶ「坂」が多く存在しています。今回は、三田ガーデンヒルズを中心に、そのほど近くにある3つの坂「綱の手引き坂」「綱坂」「神明坂」「日向坂」に注目しました。 ■ 綱坂三田一丁目5番、イタリア大使館の西のわきを南へくだる道。片方には綱町三井倶楽部の高い塀が続いています。都会の喧騒から少し離れた、あじわい深い静かな坂です。くだる途中で振り返ると、その先には三田ガーデンヒルズのパークマンション棟がちらり。「綱坂」という名称は、「羅生門」の鬼退治で有名な平安時代の武士・渡辺綱(わたなべつな)がこの付近で生まれたという伝説によるといわれています。 ■ 綱の手引き坂「綱の手引き坂」は、三田ガーデンヒルズ「グランドエントランス」の前を通る道です。三田一丁目と二丁目の境をオーストラリア大使館前あたりから東へくだるこの坂もまた、渡辺綱の出生にまつわる名称です。むかしは「手引坂」や「姥坂(うばざか)」「小山坂」とも呼ばれていたそう。前述の「綱坂」と直角に交わっています。 ■ 神明坂神明坂は、この坂に古くから存在する「元神明宮」を「元神明」と呼ぶことから「神明坂」になったそう。三田一丁目4番地あたりからオーストラリア大使館へと南へのぼる坂、三田ガーデンヒルズ「ノースエントランス」を出て左にのびている坂です。なお元神明宮は、前述の渡辺綱や徳川家から崇敬を受けたといわれています。宮司や人々の祈りにより、関東大震災や戦災など多くの災難から逃れてきたため、現在では “厄除の社” として知られています。 ■ 日向坂「ひゅうがざか」と読みます。古川をまたぐ「二ノ橋」から三田一丁目・二丁目の境をオーストラリア大使館の方にのぼる坂で、その昔は「ひなた坂」「袖振坂」ともいわれました。「文政町方書上」によると、「登りおよそ26間、幅およそ3間、先年、毛利日向守屋敷わきなので日向坂と唱えた。今は間部下総の屋敷である。三田久保町の西で麻布仙台坂辺への往還である。」とあります。どうやら、「仙台坂」から「二之橋」を渡り「日向坂」から三田へと向かうの交通は、今も昔も同じのようです。 余談ですが...「二之橋」について「二之橋」は、「御府内備考」に「江戸図説に、新堀に渡す橋を日向橋という。むかし毛利日向守の屋敷があって名となった。目向橋は二ノ橋のことで久保町の通りである。」とありますが、その橋のかけ始めや修復の年代など詳しいことは分かっていません。「港区史」には「宝暦(1751〜1763)ごろ毛利邸であった所に間部若狭守の邸があり。二之橋を間部橋ともいった。」と記されていますが、坂の名前は変わらず「二之橋」とされています。 港区・三田。江戸時代には武家屋敷、明治には海軍の拠点が立ち並び、今は多くの大使館が並ぶ歴史の深い地域です。三田ガーデンヒルズ周辺へお越しの際は、散歩を通じてこの街の魅力を見つけてみてはいかがでしょうか。 現在、三田ガーデンヒルズの一部のオーナー様よりご売却のご相談を承っております。ご購入をご検討中の方はぜひお気軽にお問い合わせくださいませ。お問い合わせはこちら:https://mgh.sevensignatures.com/#contact 参照資料:「三田と芝 -その1- 港区の文化財・第7集」「三田と芝 -その2- 港区の文化財・第11集」「港区の文化財 第14集」「江戸の坂 東京の坂(全)」横関英一 著 ちくま学芸文庫「東京スリバチの達人 分水嶺東京南部編」皆川典久 著 昭文社東京都神社庁http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/minato/3033港区HP/日向坂 https://www.city.minato.tokyo.jp/kyouikucenter/kodomo/kids/machinami/saka/04.htmlVISIT MINATO CITY OFFICIAL VISITOR GUIDEhttps://visit-minato-city.tokyo/ja-jp/places/1256