港区・三田。JR田町駅や都営地下鉄三田駅に近いこのエリアは、慶應義塾大学の三田キャンパスがあり、学生街として知られています。また近年は、ビジネスの中心地としても発展してきました。 三田国際ビルの前を通る「三田通り」(桜田通り)からは、東京タワーがきれいに見えます。 「三田」の由来「三田」は区内でもっとも古い地名のひとつ。承平5年(935年)頃の文献には、「武蔵国荏原郡郷 “御田” 」と紹介されています。「かな文字」が普及する前の時代の書物ですが、「美田」と漢字で漢字に読み方が記してあったそう。一説によると、皇室に献上する米をつくるための貴重な田だったので「御田」としていたようです。2025年3月から順次竣工を迎える三田ガーデンヒルズの前には、「三田坂めぐり散歩」と記された案内板があります。こうした案内板は三田の各所にあり、周辺環境をよく知ることができます。 現在の三田ができるまで明治4年(1871年)、島原藩の中屋敷があった現・三田二丁目のエリアに「慶應義塾」が移転。これにより下宿屋や食堂、書店、文具店が増え、 “武家町” から “学生街” へと一変します。 「三田ガーデンヒルズ」のある区画は、明治5年(1872年)、筑後久留米藩・有馬中務大輔の上屋敷の跡地に「芝赤羽町」として起立。昭和42年(1967年)頃までこの名で呼ばれていました。由来は諸説あり、「赤羽橋」からとも、「赤羽川」(古川の異称)に沿っているからともいわれています。 そして昭和42年(1967年)頃、芝新門前町、芝新門前河岸、芝赤羽町、芝三田豊岡町、芝新広尾町、芝伊皿子町などが合併し、現在の「三田」となりました。以下は、現在の三田周辺の地図。一丁目から五丁目まであります。(基盤地図情報をもとに作成) なお、余談ではありますが、江戸期浮世絵版画の巨匠として知られる歌川広重がこのエリアをモデルに『江戸名所 赤羽祢水天宮』『江戸名所之内 芝赤羽根 水天宮』『江戸名所 赤羽根水天宮』を遺しています。愛宕神社に隣接する「NHK放送博物館」には、歌川広重が描く芝・愛宕の様子も展示されているようです。参考:https://mgh.sevensignatures.com/posts/fM90OR6o有馬家の屋敷跡の大部分は「有馬ガ原」と呼ばれる空き地で、当時は樹木や雑草が生い茂っていたといわれています。ここが明治の世になって「海軍造兵廠」となり、大正のはじめに、現在の「東京都済生会中央病院」が建てられました。 三田周辺へお越しの際は、街の歴史を感じながらゆったり歩いてみてはいかがでしょうか。 編集後記明治には軍事施設が溢れていた港区。ゆっくりと歩いてみると、ところどころに歴史をつづった案内板があることに気がつきました。何気ない日常の風景も、その場所の歴史を知ることで過去の姿が思い浮かび、散策がより楽しいものになりますね。今回、三田周辺の歴史を調べるにあたり、こんなアプリを見つけました。東京時層地図 https://www.jmc.or.jp/digital/app/iphone-tokyo-index/各年代の地図・航空写真を通じて、明治から現代までの東京の変遷を知ることができます。有料サービスではありますが、住宅やオフィスビルに覆われた現在の東京の姿と130年前の風景とを地図上で重ね合わせることで、街の歴史が身近に感じられました。 三田ガーデンヒルズ物件のご売却を検討されているオーナー様は、最短1営業日以内でご売却査定をお出ししておりますので、お気軽にお問い合わせくださいませ。お問い合わせはこちら:https://mgh.sevensignatures.com/#contact